おすすめ映画を押し付ける

お話の感想や解釈

Law & Order UK

 

 

 

御無沙汰しております。

2ヶ月ぶりになってしまいました。

最近映画やドラマを観る回数も減ってしまったのが更新してなかった理由です。

さらにレビューを書くことに対して気を遣いすぎたことからブログを書くことが億劫になりつつあったのも要因ですね。

 

そこで、初心に戻ってただただ自分が楽しいように文章を書き、自分の好きな映画やドラマについて語りたいと思います。

 

今回はイギリスのテレビシリーズ

Law & Order UK

を紹介します。

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このドラマはアメリカで放送していたドラマのイギリス版らしいです。そこらへんの背景はよく知らないです。

今回は楽しくブログを書く、ということをテーマにしてるので特に調べませんでした。いえーい

 

物語は基本的に一話完結型で自分のペースで見やすいドラマだと思います。

Amazon Primeにも入っているので、Amazon Primeを契約してる方はちょこちょこと見ていくのをお勧めします。

 

Law & Orderは題名で大体予想はつくと思いますが、警察と検察のお話となっております。

事件が起こるとそこに駆けつけて捜査をする警察の2人と、

その事件の被害者の味方をして容疑者を有罪へと落とす検察2人が主人公です。

 

裁判系のドラマはアメリカではSUITS、日本ではHEROなどたくさんありますが、LAW & ORDERは例に挙げた二つと違って主人公たちの過去や人間関係よりも毎回起こる事件に最も重きを置いてあるのが大好きです。

 

主人公たちの人間ドラマって面白いけど、サラッと見るには重すぎるんですよね。だから見るときに精神的な余裕がないと見れない。

 

LAW & ORDERももちろん、毎回起こる事件に関わる人たちのドラマは壮絶なものですが一話で終わってくれるので重い気持ちが長引かないのがいいですね。

 

ただこのドラマをほんっっっとうに毎回毎回心に残る事件を扱ってきまして、色々考えさせられます。

例えばシーズン2の1話の事件では、子供が子供を殺すケースを扱っています。

この中では、学習障害を持つ子供に対して責任能力があるのか?

ネグレクトによって心に傷を負って共感能力を欠いた少女に対して懲役12年という子供にとって長い年数の刑を負わせることはどうなのか?刑務所ではなく精神病院で更生させるべきなのではないか?

などの問題を裁判にて話し合っていきます。

 

結局少年を殺した少女は懲役12年。

世間からは「生まれながらの悪魔」と呼ばれて彼女自身の精神状態は無視されて少年院から出た後には刑務所に入れられる人生を送る判決を下されました。

 

この話の中で特に印象に残ったのは、殺された少年の母親の言葉で

「殺した少女に対してはすごく憎しみを持っている。だけど、私は母親だから子供を思う事をやめられない。」

と言って、少女に対して憐れみを持っていた事です。

 

母親というのはやはり子供をどうしても思ってしまう生き物なのだな、と気付かされたのと同時に被害に遭っていながらも子供を気遣うことができる被害者の母親の優しさに泣けました。

 

このようにLAW & ORDERは、1時間という短い1話ながらもすべてのケースにおいて、人間ドラマが深く描かれているのが魅力です。

 

主人公の警察、検事たちも正義感がとても強く、真摯に事件に向き合い必至に被害者を救おうとする姿は毎回胸を打ちます。

 

めっちゃ考えさせられる、深くて良いのと同時に、

1話完結型で短くテンポが良いのでとても見やすいドラマとなっております。

 

ぜひ。

 

慈悲なき欲心

責任の所在

法を司る者

 

 

 

 

 

Passenger - To Be Free

今回は映画でも演劇の話でもなく、歌詞の和訳です
passenger のTo Be Free
この曲はこの曲を作った、オーストラリア出身の彼だからこそ作ることができた曲、彼のルーツの歌詞です。

まあ、つたないながらに和訳を頑張ったので見てください。間違っててもごご愛敬ということで!


Vineland, New Jersey, farm land stretching
Far as the I can see
Not much down there, but sun-scorched pastures
In Nineteen fifty-three

ヴィンランド、ニュージャージー
見渡す限りの牧草地
長くはとどまらなかったが、そこは日に焼けた牧草地だった
1953年

The war is over, they came searching
For a place to be
They left the Rhineland,
They lost their homeland and,
All their family

戦争は終わった。そして彼らは自由になる場所を探しに来た
リンランドを離れ、彼らは故郷の土地とすべての家族を
失った

Like feathers on the ocean breeze
They went spinning and tumbling 'cross the sea
Never know where they'd come down
Or who they'd be
Like heather on the hillside
They were bruised and
They were battered by the breeze
Searching for a place
To be free

海風に乗る羽毛たちのように
彼らは海を回り転がり行った
どこにたどり着くのが
一体自分たちが何者なのかもわからずに
丘の斜面にそびえるヘザーのように
彼らは風にすりつぶされ、
たたきつぶされた
自由になれる場所を探すために

Sun burn summer,
And frost by winter
Kids were plainly dressed
Left the farmhouse when he was old enough
And headed out west

日の焼き付ける夏も
霜のおりる冬も
子供たちは質素な格好をした
彼は十分老いたときに農家を離れ、
西へ向かった

From California to Southen Africa
And all the way to France
And on to England to meet my mother
In NIneteen-eighty-one

カルフォルニアから南アフリカ
そしてすべてのフランスへの道と
イングランドへの道を母に会うために行った
1981年

A feather on the ocean breeze
He went spinning and tumbling 'cross the sea
Never know where he’d come down
And who he's be
Like heather on the hillside
He was bruised and he was battered by the breeze
Searching for a place
To be free

海風に乗る羽毛、
彼は海の上を回り、転がって行った
どこへたどり着くのか
一体自分は何者なのかわからずに
丘の斜面にそびえるヘザーのように
彼はすりつぶされ、たたきつぶされた
自由になれる場所を探すために

Oh, and like a seed
That is flying in the wind
In search of water, soil and sun
And the birds and the bees
To have it all along

ああ、まるで種のようだ
それは水と土と日光を探し
風の中を飛んでいる
そして鳥とハチたちは
それを見つけるため自力で行く

Now here I am, Thirty- three years down
Two-thousand-seventeen
I've seen Rhineland, I've been to Vineland
I'm a feather on the breeze

今、僕はここにいる 33年間
この2017年に
リンランドを見て、ヴィンランドへ行った
僕はそよ風に乗る羽毛だ




Runaway

NTL ジュリアス・シーザー

 

 

 

National Theatre Liveのレビュー、3個目!

今日はBridge Theatreにて上映された『ジュリアス・シーザー』を見てきました!

 

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時間がなくて、原作を読むことができなかったのが残念でしたが久々に映画館行けたのはワクワクしました。しかもこの劇は私がイギリスへ旅行に行った際に上映されていた演劇なので尚更ワクワクしながら劇場に向かいました。

ほんっっとに地下鉄通路のどこもかしこにもポスターが貼ってあったんですよ。

 

 

ジュリアス・シーザー』はご存知のように、ウァリアム・シェイクスピア作の政治劇となっております。…政治劇だよね?自信ないのです。信じないで下さい。

舞台はローマ。ジュリアス・シーザーが王の地位につき、よろこぶ国民の様子から物語は始まる。しかし主人公ブルータスは友人のキャシアスに説得され、シーザーを仲間たちと暗殺を実行。

シーザーの死を嘆くアントニーは国民を奮い立たせブルータスと戦いを始め、ブルータスたちはそれに倒れる。

といったあらすじです。すごく雑ですが。

 

この劇の特徴的なところは前回書いた『イェルマ』と同じように舞台が現代風になっているところ。舞台がローマになっているのは『イェルマ』とは異なりますが、衣装は完全に現代風でギターを弾いたりバンド演奏をしたりとかなり変わった演出でした。

舞台の配置がまた特徴的で、ピットの中に移動舞台が配置され、舞台にいる観客はまるでローマの市民役のように舞台に巻き込まれていきます。これは実際に観劇したかったなぁ。

 

内容を見てですが、正直シェイクスピアは一回見ただけではちゃんと理解しきれません、というのが本音です。無理でーす。だって難しいもん。

ただシェイクスピアで共通しているのは悲劇の主人公は大体過ちを犯して自らを滅ぼしていくということです。ブルータスはシーザーを亡き者にすることがローマの市民にとって、良いことである、なぜならシーザーは傲慢な王だからだ、と考えたからシーザーを殺します。彼はローマの市民を思うあまりに、キャシアスの言葉を信じて説得され殺人を実行しますが、殺しは殺し。そして殺しは復讐を呼ぶ。

ただ今回ブルータスを完全に悪とは言いがたく、彼は愛国心が強く志の高い人間でした。暗殺の行為はもちろん悪だけれど、このような根は優しさを持つ人間が誤った行為から身を滅ぼしていく様子は痛々しく、まさに悲劇でした。

 

初めて見たので逆にストーリーを新鮮な気持ちで見ることができたのはよかったですね。いつかしっかりと脚本をよんで考察していきたいです。

 

 

National Theatre Live: Yerma

 

 

昨日やっと見に行きました。

National Theatre LiveのYerma

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National theatre liveを観に行ったのは2回目なのですが、今回はYoung Vic Theatreで公演された演劇だったみたいですね。

(National Theatre Liveが何かは前回の記事を参照してください)

Yermaの原作はスペインの劇作家、ロルカによって1934年に初めて演じられた劇の脚本です。

 

あらすじとしては、

妊活に励む主人公の女性が夫とはすれ違うわ、赤ちゃんはなかなかできないわ、でも姉には赤ちゃんができるわ、でフラストレーションが溜まって精神をおかしくしちゃう。

っていう話です。ざっっっくり言えば。

 

1934年初演の劇を、現代風に書き換えて訳したので結構見やすく、コミカルな部分もありましたが、このような妊活に悩む女性を中心として描く劇はとても新鮮でした。

主人公Yermaは結局この劇においては精神的に追い詰められて自殺するのですが、赤ちゃんが欲しいけどできないフラストレーションだけで追い込まれただけじゃなく、さまざまな状況が引き金となっていました。

例えば、

彼女が昔中絶した赤ちゃんの父であり、元彼である彼の結婚とその妻の妊娠。

母親の自分に対しての軽薄さ。

妊娠を望んでいない姉は妊娠できるのに、望んでる自分はできない苛立ち。

夫の妊活への関心の薄さや、彼の度重なる出張。

全ての小さな引っ掛かりが結局は大きな重石となって、彼女の精神を蝕んでいったのでしょう。

 

とても日常的な劇だからこそ、この劇の演出の気味の悪さが拍車をかけて現実味を帯びさせてました。

本当にばっさり言うと

ひたすらに気味が悪い。

劇の演出もそうだし、リアルな演技や、場面の変換にかかる音楽が主人公の精神状態に合わせて美しい音楽からけたたましい音程もないただの音に変わっていく様や、

劇の内容自体、妊活に悩む女性の物語というだけあって、現実にもたくさんあるようなリアルさだったからこそ、この劇の気味の悪さが現実を侵してくる感覚がしてひたすら後半は気持ち悪いわ、冷や汗かくわで怖かったです。

 

まあここまで言ってなんだとは思いますが、面白かったです。楽しいと思うだけがその作品が面白いと思う判断材料にはなりませんからね。

この劇は興味深い、考えさせられる劇としてとても面白かったです。鬼気迫る感覚もやはり劇の完成度がそれほど高かったからでしょう。

おすすめです。

 

 

 

 

 

ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ


ローゼンクランツとギルデンスターン と聞いたら、あれ?聞いたことあるな?って思う方もいると思います。そうですー、彼らはシェイクスピアの『ハムレット』で出てくる脇役達なんですね。

 

今回見たのはNational Theatre Liveの『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(英題: Rosencrantz & Guildenstern are Dead)です。しかもNational Theatre Liveを見るのは今回初で、記念すべき日でした、昨日は。

 

 

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National Theatre Liveとは、国立のイギリスの劇場が素晴らしいと評価される演劇を映像に収めて世界中の映画館で上映している企画です。つまり、イギリスの質の高い演劇を現地に行かずに観ることができるという素晴らしい企画な訳です。年に数本しか上映はされませんが、それ故に質の高い演劇を観ることができるとても貴重な機会です。

 

今回の『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』はギルデンスターン役として、ハリーポッターダニエル・ラドクリフくんが出演していらっしゃいました。

本作はがっつりコメディ物でして、文字通り最初から最後まで笑いの絶えない演劇でした。軽妙なテンポの掛け合いは聞いていて愉快ですし、日本の所謂 ボケとツッコミの役割分担も面白く、よく作り込まれた長いコントを見ている気分にさせられました。ラドクリフくんのコメディの演技を見ることができたというのはとても面白かったですね。しかもすっとぼけ〜でふらふわした感じの役で愛らしかったです。

特に印象的だった面白いシーンは、ハムレットの 'to be or not to be, that is the question.'(あってるか?)のような独白のセリフを彼らは 'he's talking to himself'「独り言いってるよ」とかたずけてしまったり、

突然 'Fire!!!!' 「火事だ!!」と叫びだし、なんだ?!と思ったら、「言論の自由を行使しただけだよ」とすっとぼけたり、テンポがよく、笑いもウィットに富んでいて興味深かったです。


しかし土台はあのシェイクスピアの名作悲劇、あの救いのない演劇『ハムレット』でして、ローゼンクランツとギルデンスターンはハムレットに殺される役なのです。勿論、本作は『ハムレット』の内容を知らなくとも楽しめる演劇ですし、彼らが最終的に死ぬ運命にあるというのは途中観客にも知らされます。つまり、観客は彼らがやがて死ぬという結末を知っていながら事の行方を見守るのです。彼らが何をしても死ぬ運命にありながら、必死の行動を見守るのは観客が彼らに滑稽味を抱く1つの理由であると思います。また同時に彼らの行動には最終的に死に向かっているという意識によってどこか哀愁が漂うシーンもあり、それが劇を締まらせていると感じました。

 

最初のシーンは彼らがコインで裏表 どっちが出るかで賭け事をしているシーンから始まります。彼らのコインは何度やっても表を向きます。このシーンにより、何か大きな力によって彼らはなすすべもなく操られている、とわかります。(運命?)

また彼らは人間はみんな生きて死んでいくだけのもので、誰だって人は死ぬんだという思想を持ち出し始めます。

つまり人間の運命は死ぬことであって、それに逆らうことはできないと暗に述べられているのです。

つまるところ、彼らが王と王妃に従うことによって死に向かうことはあらかじめ決められた運命であり、それは何があっても曲げることはできないのです。

 

しかし、彼らが死に向かっているのは運命という大きな力によってのみだったのでしょうか。彼らは劇中、ハムレットの様子を探るのはなぜなのか、王宮で一体何が起こっているのか、そして自分たちは何をすればいいのか、最初から最後まで悩み続けます。つまり最初から最後まで自分の意志で動けないままなのです。この部分から彼らは自分の意志決定の弱さをうかがえます。またローゼンクランツとギルデンスターンはたびたび名前を間違えられ、彼らもまた自分で間違えたりどっちがどっちでもよいという態度に出ます。ここから読み取れるのは、アイデンティティの欠落である、と考えられます。彼らは自分の行動の意思決定ができなかったり、自分の名前を覚えてもらえない、または自分という一人の人間としてはっきり認識されないことから、アイデンティティの弱さを表しているのではないかと思いました。

何が言いたいのかといいますと、彼らは運命の大きな力だけで死に向かっていたわけではないということです。彼らのアイデンティティの欠落によって自分から死を招いたとも言えます。それは劇中、一度だけ表を向いたコインからも推測できます。コインが裏返ったように、彼らの死に向かう運命もまた何らかの方法で免れたかもしれないのではないでしょうか。

 

 

 

Maurice モーリス

毎回毎回お久々になってしまいますが、まあ気ままに更新しいきます。

 

今回鑑賞したのは

モーリス Maurice

です。まあ過去の記事見てもらったらわかると思いますが、モーリスについて書くのは二回目になります。それでもなぜ今回の記事を書くかといいますと、なんと!!!1987年に公開したこの映画がまた大画面で!!!映画館で公開されたからです!!!!

もちろん見に行ったからこの記事を書いているんですが、大画面で見られるなんて感動です。公開時にはそもそも私生きてないですからね。

 

でもってこの映画がなぜ、20年以上もたって映画館で公開されたかといいますと、このブログでも紹介いしたCall Me By Your Nameでアカデミー脚本賞を獲得したJames Ivoryさんの脚本だからだと思います。

また、Call me by your nameとmauriceで共通している点としては、どちらも同性愛ものであるという点です。

call me by your nameは1983年北イタリアの話で、mauriceは1909年~のイギリスのお話です。

当時イギリスは同性愛は法律によって禁止されており、警察に見つかれば逮捕され実刑を求められていました。ちなみにイギリスで同性愛が合法になったのは1967年です。

Mauriceの原作E.M.Forster(1879-1970)も同性愛者であったといわれており、本作は彼が生きている間には発表できなかった作品でした。

イギリスで同性愛が合法となったのが1967年と考えてみると、1987年にこの映画が公開されたのは大きな衝撃、また影響を社会に与えたのではないだろうかと思います。20年、なんだ長いじゃんか、と考える方もいるとは思いますが、その土地に根付いた考え方を変えるのには十分に短い年数ではないでしょうか。また今もなおLGBTQが問題視されていることを考えると当時この映画が公開された事実には驚きます。実際この作品が公開された当時、本作に出演した俳優さんは自分の性的趣向を隠していた同性愛者の方々に感謝の言葉をいただいたと話していらしたそうです。

 

このような社会的問題を含んだ本作を鑑賞できるというのは本当に感動しますね。これだから映画は最高なんです…!

 

まああらすじは以前に書いた記事を見ていただくとして感想を述べます。

まずやはり前に見た時と見方がだいぶかわったというか、以前に見逃していた部分も解釈できるようになった気がします。

クレイヴがモーリスとの肉体的接触を拒む事実や、その後も同性愛の罪に耐え切れずにモーリスとの恋人関係をやめて女性と結婚する事実には前はただなんて奴だ、と怒りを感じていました。しかも彼らの恋人関係の始まりはクライヴの告白からでモーリスが同性愛という関係にめざめた原因でもありますし。でも考えてみれば、彼の選択は世間一般からすれば、罪を犯すことをやめて自分に後ろめたくなく生きる選択をしただけ、というまっとうな選択をしただけでした。彼のような地位も高く家柄もある人間が同性愛という罪をおかすことは大きなリスクを伴うものであったろうと思います。

だからと言って彼がモーリスに女性との関係を必要以上に応援し始めたのはモーリスに対する後ろめたさが見えました。おそらく名誉をとってモーリスを振ったことを悪く思った彼は同じように女性と結婚することで自分の後ろめたさを消したかったのではないかと思います。それにしても最後のシーンでモーリスがスカダーと生きていくことを告げた後、彼が窓の外を眺めながらケンブリッジ時代の彼を思い出していたのには、女性と結婚してもなお、やはりモーリスに対して精神的にまだ惹かれているままなのではないかと思いました。

 

この物語において、クライヴとスカダーの比較をすることはわかりやすい見方であると思います。クライヴが罪を犯してまでモーリスとの関係を続け、肉体的な関係を拒み続け、最終的には名誉と仕事をとったのに対して、スカダーはモーリスへの感情にまっすぐにあり続けて肉体的な関係を結び、最終的には自分の仕事を犠牲にしてまでモーリスとともにいることを決意する。

これは決してどっちが正しい、どっちが間違えというわけではないと思います。クレイヴの選択は世間的に正しいし、スカダーの選択はモーリスを守る選択として正しいです。ここで考えたいのが、彼らを悩ませたのは同性愛を禁止した社会であったということです。

 

 

モーリス HDニューマスター版 [DVD]

Call My By Your Name

 

 

 ついに…

ついに見ました。call me by your name

どれだけ楽しみにしていたことか…!!

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期待していた通り、いや、それ以上にとても美しく、優しく、切なく、尊い恋愛映画でした。

 

あらすじについては大体The Academyについての記事に書きましたので、その記事を参考にしていただけたら幸いです。

 

 一夏の恋。

日本版のポスターのキャッチコピーにもありましたが、この一夏の恋がどれだけ大切で美しくて熱くて優しくてそれでいて切ないのか。

Timotheè Chalamet演じるElioの若さ故の恋への勢い。

Army Hammer演じるOliverのElioに対する恋情と恐れ。

一夏の恋という短さがまた2人の恋の美しさや儚さを倍増させます。

 

詳しい感想はまたぽちぽちと更新していきたいと思います。