Maurice モーリス
毎回毎回お久々になってしまいますが、まあ気ままに更新しいきます。
今回鑑賞したのは
モーリス Maurice
です。まあ過去の記事見てもらったらわかると思いますが、モーリスについて書くのは二回目になります。それでもなぜ今回の記事を書くかといいますと、なんと!!!1987年に公開したこの映画がまた大画面で!!!映画館で公開されたからです!!!!
もちろん見に行ったからこの記事を書いているんですが、大画面で見られるなんて感動です。公開時にはそもそも私生きてないですからね。
でもってこの映画がなぜ、20年以上もたって映画館で公開されたかといいますと、このブログでも紹介いしたCall Me By Your Nameでアカデミー脚本賞を獲得したJames Ivoryさんの脚本だからだと思います。
また、Call me by your nameとmauriceで共通している点としては、どちらも同性愛ものであるという点です。
call me by your nameは1983年北イタリアの話で、mauriceは1909年~のイギリスのお話です。
当時イギリスは同性愛は法律によって禁止されており、警察に見つかれば逮捕され実刑を求められていました。ちなみにイギリスで同性愛が合法になったのは1967年です。
Mauriceの原作E.M.Forster(1879-1970)も同性愛者であったといわれており、本作は彼が生きている間には発表できなかった作品でした。
イギリスで同性愛が合法となったのが1967年と考えてみると、1987年にこの映画が公開されたのは大きな衝撃、また影響を社会に与えたのではないだろうかと思います。20年、なんだ長いじゃんか、と考える方もいるとは思いますが、その土地に根付いた考え方を変えるのには十分に短い年数ではないでしょうか。また今もなおLGBTQが問題視されていることを考えると当時この映画が公開された事実には驚きます。実際この作品が公開された当時、本作に出演した俳優さんは自分の性的趣向を隠していた同性愛者の方々に感謝の言葉をいただいたと話していらしたそうです。
このような社会的問題を含んだ本作を鑑賞できるというのは本当に感動しますね。これだから映画は最高なんです…!
まああらすじは以前に書いた記事を見ていただくとして感想を述べます。
まずやはり前に見た時と見方がだいぶかわったというか、以前に見逃していた部分も解釈できるようになった気がします。
クレイヴがモーリスとの肉体的接触を拒む事実や、その後も同性愛の罪に耐え切れずにモーリスとの恋人関係をやめて女性と結婚する事実には前はただなんて奴だ、と怒りを感じていました。しかも彼らの恋人関係の始まりはクライヴの告白からでモーリスが同性愛という関係にめざめた原因でもありますし。でも考えてみれば、彼の選択は世間一般からすれば、罪を犯すことをやめて自分に後ろめたくなく生きる選択をしただけ、というまっとうな選択をしただけでした。彼のような地位も高く家柄もある人間が同性愛という罪をおかすことは大きなリスクを伴うものであったろうと思います。
だからと言って彼がモーリスに女性との関係を必要以上に応援し始めたのはモーリスに対する後ろめたさが見えました。おそらく名誉をとってモーリスを振ったことを悪く思った彼は同じように女性と結婚することで自分の後ろめたさを消したかったのではないかと思います。それにしても最後のシーンでモーリスがスカダーと生きていくことを告げた後、彼が窓の外を眺めながらケンブリッジ時代の彼を思い出していたのには、女性と結婚してもなお、やはりモーリスに対して精神的にまだ惹かれているままなのではないかと思いました。
この物語において、クライヴとスカダーの比較をすることはわかりやすい見方であると思います。クライヴが罪を犯してまでモーリスとの関係を続け、肉体的な関係を拒み続け、最終的には名誉と仕事をとったのに対して、スカダーはモーリスへの感情にまっすぐにあり続けて肉体的な関係を結び、最終的には自分の仕事を犠牲にしてまでモーリスとともにいることを決意する。
これは決してどっちが正しい、どっちが間違えというわけではないと思います。クレイヴの選択は世間的に正しいし、スカダーの選択はモーリスを守る選択として正しいです。ここで考えたいのが、彼らを悩ませたのは同性愛を禁止した社会であったということです。